最新の秋元康さんの作詞がさすがに手抜きすぎるのでは?と話題に
日向坂四期生曲歌詞
oh no やっちまった 痛いよ痛すぎる
足の小指を箪笥の角にぶつけて
痛かった泣いたよ
指が取れたって思ったほど声が出せずに
君にフラレた時のことを
なぜか思い出したんだ
心のなかで骨が折れたような
あの感じ
oh no やっちまった 涙が止まらないYO
oh no うずくまって このまま
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天使のボデーガード
全て昭和っぽいダサい楽曲で歌詞も〇
当時の世相とか習俗でありきたりな内容だった演歌でもそうだなまあありきたりな歌詞と言う感じだった
しかし歌謡曲とかが流行り出した70年代頃から流行歌でもロックとかでもやたら歌詞を
こねくり回す風潮が出て来た要因は複数あると思われるがカラオケで歌うのに歌詞が表示されたり覚えたり
レコードCDバブルで大量に媒体が売れることである種の文学性を持たせること作品性で差別化をして売り出そうとしたことが考えられる
それが廃れると2010年代くらいからは逆戻りして
歌詞は語呂がよく日常のありきたりだったり流行だったりを何となく入れる傾向に逆戻りした
これも要因は複数あると思われるが現代ではネットの普及でMV配信が常態化しており
歌詞の内容より視覚的演出やダンスなどが重視されるようになったこと
カラオケブームが沈静化したことサブスクやダウンロードによる音楽購入によってCDレコードなど音楽媒体を
作品的に購入するよりBGM的に消費する傾向が強くなったことが考えられる
いずれにせよ原点回帰というかお経や盆踊りの民謡などは歌詞の内容は聞き取れないし
ある種のBGMとしてあればそれでよい歌うにしても鼻歌程度で良いという人も多いように
歌詞に妙にこだわるということが別に正しいことではないのであるべき姿に戻ったということができよう
それで他が手抜きになったか
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内容的には他愛ないシンプルな流行歌という感じだ盆踊りで長く愛される東京音頭や炭坑節も似たようなものでシンプルかつ直球
本来大衆に広く愛される国民的流行歌とはそういうもので妙にこじらせてこねくり回したような歌詞が持ち上げられたのは
ある年代の一時期だけの現象でむしろそのほうが特殊だったと言えよう
きらびやかな衣装で集団で歌い踊るダンスショーが本体で時にダンスの激しさで息切れするのでリップシンクなどもありうる
視覚的ショー要素の方が強い上にゴチャゴチャと並べた歌詞を歌い上げてる余裕も無く聞き取りにくくなるのでシンプルな方がむしろ良いだろう
松本隆あたりからなのかな?
こんなのでも売れるからな
ぶっちゃけ歌詞なんてどうでもいい
でもソニーは内心は手を切りたがってるんだろうし切られたら困るのは総合Pのほうだと思うが
Kポをバズらせて回してくれる中心層にとってはもはや歌詞の意味なんか求めてなくてカワイイ声さえ聴ければ満足という事なんだろうね
よく音楽番組で見る街頭インタビューとかじゃ回答としてアホすぎてかっこ悪いから本音は言わないだろうけど
鳥のさえずりと同じですって事になるから
引用元:https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/uraidol/1737471224