秋元康「Same numbersがメッセージの強い曲だから、その次のビリヤニでは頭空っぽソングにした」
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頭空っぽには無理だったか
矢田瀬戸口の為に作った曲なら秋元にキレていい
曲貰ってからセンターを矢田瀬戸口に決めたなら運営にキレていい
ただ曲とMVはできがイイんだよな
MVはmonopolyやおひ天みたいにカラフルだから頭空っぽにして見てる分には最高傑作だよ
秋元康「「Same numbers」が凄く良い曲だと支持されたから、次はあえてビリヤニにような予定調和を壊す曲にした。批判はあるがそれが飽きさせないトリック」
https://youtu.be/9V6t2DyUDWg?si=P1ojD9xkzqaZj8SA
どこで支持されてたんだ
まぁ、ネブオレからCD売り上げもV字回復させたからな
CD売り上げなんて6期のミーグリ積み上げただけやん
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ビリヤニ、怪談で下降してるので6期積み上げだけじゃない。
お前以外がね(^_−)−☆
表題曲1ヶ月後累計再生数(直近2年)
(39th) Same numbers 330.8万
(37th) 歩道橋 281.3万
(40th) ビリヤニ 245.5万
(38th) ネーブルオレンジ 216.5万
(36th) チートデイ 207.3万
(35th) チャンスは平等 184.7万
(41st) 最後に階段を 167.8万 ←
推し活リクエスト頑張れ!
そういうことじゃねーよ
やっぱ歌が上手くないと制作意欲湧かないよね…
細かく考えてやってますなんて言ったら責任負わされるもんね
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秋元「指原が総選挙1位になった時にうわ指原かあ…指原なら予定してた曲合わないから変えないとなってなって出来たのが恋チュン」
つまりセンターが誰かによって楽曲は変動しやすいという事では?
その考えは、篠田麻里子がじゃんけん大会で優勝した時に当初充てがわれ手たのは、走れペンギンという当時のチーム4のチーム曲になった曲だったけど篠田がセンターになったから上からマリコに作り直したという話はあるけど
指原恋チュンは当初の予定通りだったはず
ジ〇イには理解できない音域のサウンドなのに康すげえな
mvが音源初公開だからね。だから階段は爆死してる。
Same numbersのmv再生数は近年最高だからそういうこと。
見事に外れてますよって誰も言えないんだろうな
秋元はイエスマンしか置いてないんだろうな周りに
さすがにもう一般受けは諦めたんだな
セムナンもビリヤニもネーブルも歌詞を聞こうと思って曲聴いてないからwメンバーのことしか見てないって
セムナン 2つのリアルサイン会とオンラインサイン会
ビリヤニ、最駆け リアルサイン会のみ
これと6期の人気低下
エースの卒業
これだけで
セムナン>ビリヤニ>最駆け
説明できちゃうわけだね
歩道橋はチートデイの反動で好評だったイメージ
残念
さようなら
確率論的収束 エルゴード仮説と「0.000…1%」の存在論
歌詞の核心は、膨大な情報のノイズ(ブラウン運動的日常)の中から、特定の数理的一致(ゾロ目)を捕捉する「確率論的収斂(Probabilistic Convergence)」にあります。
「偶然」という言葉で片付けられがちな事象に対し、歌詞は「二つの独立事象が同時発生する確率」の極限的な低さを強調します。これは、カオス理論における「初期値鋭敏性」の逆説であり、無秩序な数列の中に意味を見出す主体の「確証バイアス」を運命へと昇華させるプロセスです。
統計的アノマリーとしての「君」
多数の個体が混在する社会(アンサンブル)において、特定の個体と時間軸・空間軸を共有することは、エルゴード理論的な「長時間平均と空間平均の一致」を待つまでもなく、数学的な「特異点(Singularity)」として描かれています。
記号論的分析 数秘術的アポフェニアと意味の生成
本作において「数字」は、単なる定量的データではなく、特定の意味を指し示す「指標(インデックス)」として機能しています。
数秘術的アポフェニア(Numerological Apophenia)
脈絡のない数字の並びに意味を見出す心理的傾向を、歌詞は「愛」という高次なコンテクストで正当化します。デジタル時計の時刻や車のナンバープレートといった日常的な記号が、特定の他者と結びつくことで、ソシュール的な「能記(シニフィアン)」から、「宿命」という強烈な「所記(シニフィエ)」へと変容します。
シンクロニシティ(非因果的連関原理)
因果関係(原因と結果)では説明のつかない「意味のある一致」を、ユング的なシンクロニシティの概念で捉えています。数字の一致は、物理的な事象の重なりではなく、主体の内面世界と外部世界が「意味」の位相で共鳴した瞬間を記述しています。
実存的現象学 投企としての「ゾロ目」
歌詞における「same numbers」への執着は、ハイデガー的な「被投性(Geworfenheit)」に対する、主体的な抵抗と解釈できます。
事実性の受容と超克
偶然投げ出された世界において、ランダムに提示される数字。それを「同じだ」と断定する行為は、事実性に甘んじるのではなく、自ら意味を投げかける「投企(Projekt)」です。
相互主観性の構築
独我論的な世界において、他者と同じ数字を共有(認識)するというプロセスは、二人の間に「相互主観的な宇宙」を仮設する試みです。客観的には無意味な数字の羅列が、共同主観的な「聖なる記号」へと変質する瞬間を、本作は詩的に固定しています。
『same numbers』は、デジタル化され記号が氾濫する現代社会において、人間がいかにして「統計的な絶望(低確率)」を「叙事詩的な希望(運命)」へと変換するかを描いた、高度な認識論的ポップ・ミュージックであると断言できます。
普通は底抜けにノレるとか底抜けに楽しいとか何か付随するものがあるんだけど
秋元って本当に文字通りの頭空っぽなだけなんだよ
中身がない面白味がない楽しくない
それどころか底抜けにバ〇ですらない
支持ってそういうもんでしょ
ここにはないもの
引用元:https://talk.jp/boards/nogizaka/1776836655









